45 私闘

 寒い。とても寒い。
 じゃりっとする冷たい地面の上で自分の肩を抱いて、なぎさは目覚めた。

 こころにぽっかりと大穴が開いたかのような気分だった。自分の大切な何かがその中に飲み込まれて、永遠に失われてしまっている。取り戻したくてもそれが何なのかが分からない……この身を苛むどうしようもない寒さは、そんな心の中から吹くすきま風だった。

「……しっかりして……目を開けてください……」

 暗い空。夜中に目覚めたのに何故か野外。そしてその夜空を覆って、可憐な少女の泣き顔が広がっている。
 幼い顔立ち。フリルをあしらったピンク色の可憐なAラインのワンピース。そんな愛らしい出で立ちに見合わない長くなびくボリュームのある金色のツインテール。
 まるで人形なのようなその少女。だがその姿は薄汚れて、顔は涙でくしゃくしゃに歪んでいる。そんな少女が、自分に必死に呼びかけ、泣いている。

「なぎささん……ほのかさん……!」

 ……ほのか? 彼女は、もう一人に呼びかけている。寝転がったまま視線を平行に戻すと、そこで同じように横たわっているもうひとりの少女と目が合った。
 知っている顔だ。でも本当はもう少し幼いはずだ。でもそれが彼女だということは何故か分かるし、不思議とは思わない。ほとんど接点のない少女が自分の隣りにこうして倒れているのはどうしてなのか、その理由は想像もつかないが……

「あれ……雪城さん?」

 呼びかけると、その子も応えてくる。

「美墨……さん……」

 そう呼び合ったとき、お互いの心の中で大事なものが遠ざかっていく音が、何故か、聞こえた。



 「なんで名前で呼び合わないんですか……いつもそんな呼び方、してなかったじゃないですか……!」

 なぎさとほのかが目を覚ましたと思った矢先に、ふたりはお互いに声をかけた。その言葉を聞いて、ひかりは震えが止まらなくなった。
 なぎさとほのかのふたりは顔を上げ、ひかりを見ている。まるで、知らない人でも見るかのような顔で。
 背筋が寒くなる。そんなはずはないと否定していたことが、否定できなくなるまでに、ひかりの背中に迫っている。

「ふたりとも、しっかりしてください。私のこと分かりますよね? ひかりです、九条ひかりです!  私のこと、呼んで下さい! ……いつもみたいに、ひかり、って……!」

「ねえ、何があったのかは知らないけれど……泣かないで」

 なぎさがゆっくりと上半身を起こして、ひかりに声をかける。

「あなたが誰かは知らないけれど……」

「そんなこといわないでください! 知らないはずないじゃないですか! 思い出してください、ずっと一緒だったじゃないですか!」

「悪いけど……人違いだよ。私、あなたのことなんか知らないし」

「そんなの……! 嘘です!……いやです、私のこと、ひとりにしないで……なぎささんとほのかさんだけは、いつだってずっと、ずっと一緒にいてくれたのに……! そんなの、そんなのって……!」

 地面に両手を付いて、肩を震わすひかり。なぎさとほのかは立ち上がり、そんな彼女の肩に手を置く。

「ごめん。なんだかよく分かんないけど……泣かないで」

「あなたの探している人も、きっとどこかにいるから」

 なぎさとほのかが声をかける。ふたりが持つ真からの優しさは変わらない。けれどもその労わりに満ちた言葉は、今のひかりには痛みしか与えなかった。


 「こんなの、酷いよ」

 そんなひかりたちの元へと重い足取りでやってきた咲は、パートナーズ像前で繰り広げられている惨状に思わず目を反らした。ともにやってきた舞にも、満と薫にも、そしてプリキュア5たちにも、ひかりの心の痛みは自分のことのように感じられた。

「酷いよ……! なんで、あのふたりが、こんな目に合わなきゃなんないの……!」

 そこにいる誰もが、なぎさとほのかの絆の深さに触れていた。誰よりも、何よりも強く尊いふたりの繋がりを。それはそこにいる全ての少女たちも持ち合わせ、そして大切にしているものだったから、喪失の痛みは計り知れない痛みを伴って伝わっていた。
 こうして、目の前にしてみるとその残酷さがよく分かる。ふたりの絆、それは今、自分たちが一番なくしたくないものだということが。

 パートナーズ像の前では、ミップルとメップルもなぎさとほのかを見上げて声を押し殺していた。なぎさたちの中にミップルたちの存在は残っていない。ドツクゾーンとの戦いも終わった今、彼らを繋げるものはもうなにも存在しないのだ。

 パートナーズ像の前には、この戦いを勝ち抜いたプリキュアたちと、ゴッドーファーザーが、まるで敗北を噛み締めるかのような沈痛さで立ち尽くしていた。
 その重い空気が、ざわり、と動く。生暖かい風がトゥモローランドから吹いて、プリキュアたちは振り返った。

「おやおや。まさかここまでうまくいくとは。もっとも厄介だった二人がそのような有様とはねえ」

 愉快そうに鼻で笑う声は、その空気以上に彼女たちの神経を逆撫でる。

「ゴーヤーン……」

 咲が呆然と呟く。甲冑のような巨体がずしんと足音を響かせながら近づいてきても、ただ見上げているだけだった。

「あなたは、ブラックとホワイトに倒されたはずじゃあ……!」

 うららが信じられないというように叫ぶと、ゴーヤーンは鼻を鳴らし、

「やられた振ふり、ですよ。どうやらあのふたりは精霊の加護を受けたプリキュアと同様に厄介な存在だと思いましたし、それにジャークキングまで出てきましたからねえ。プリキュアとジャークキングで上手くいけば共倒れになってくれると思いましたが」

 ゴーヤーンはしてやったり、というように喉の奥で笑った。

「まあ、上場でしょう。ブラックとホワイトは再起不能、あなたたちもすでにボロボロ。私は後片付けをすればいいようなものですから」

「そんな……あのふたりを、利用したというの?」

 悔しさをかみ締めながらかれんが呻くと、ゴーヤーンは「その通り」と言って満と薫を振り返り、

「利用してやったのよ。あのバカなアクダイカーンと同じようにね」

 満と薫の顔に、怒りの色が宿る。今にも飛び掛りそうなふたりを見て、こまちが静止するように前に出る。
 それを振り切り、満と薫は進み出た。「ダメよ!」、こまちの伸ばした手は空を切る。

「まずはお前たちか! それもまた縁というものでしょうかねえ!」

 そらから踊りかかる満と薫。悠々と迎え撃とうとしたゴーヤーンは、自分の体がまるで金縛りにあったかのように動かないのをその時始めて知った。

「なに?!」

 背後に、ひび割れた闇。その闇は、満と薫の怒りをも覚ますだけのものがあった。

踏みとどまる満と薫。そして表情の引きつったゴーヤーンの体は、そのひび割れた闇に吸い上げられるかのように、散っている。
 そのひび割れた闇は、ゴーヤーンの倍はある巨体を持つ、人の形だった。まるで地割れのように身体中に走ったひびから煙を上げながら、包み込むように覆ったゴーヤーンの体から、黒い煙を吸い上げていた。
 その姿を目にしたゴーヤーンの顔が、驚愕に歪む。

「貴様……ジャークキング?!」

「お前の力……我がものとさせてもらうぞ……!」

 ノイズ混じりのような飛び飛びの声でその背後の闇が言う。直後、ゴーヤーンはそn叫び声もかき消されるほどの黒い竜巻に飲み込まれ、その姿を一瞬で散らした。

 灰色の巨体が、凝縮してゆく。そして凝縮するにつれて深い黒は闇の深さを増してゆく。
 地を揺るがすかのような唸り声をあげるジャークキング。その体のそこかしこで色とりどりの雷鳴が轟き、その度に唸り声にが音色を変える。それはアクダイカーンのものであり、数々のザケンナー、ウザイナー、コワイナーのものでもあった。

 深くなる闇に反応するかのように、天を覆う光の結界が輝き出す。半球の結界の外でいくつもの稲妻が落ちる。結界の表面で放電し、黒い筋が無数に走る。絶え間ない稲光はやがて結界を覆い尽くさんばかりに数を増やし、そのたびに生じる闇がやがて結界の外を黒く塗りつぶした。
 輝き続ける光が不安定に明滅する。重苦しい津波のような轟音が当たりを満たす。うなり続ける闇の巨体の無数の声は、やがてジャークキングの雄叫びにかき消され、そして天に一筋の赤い光を放ち、そして静かになった。

 結界の外が晴れていく。稲妻は消えて、そこにあるのは以前と変わらずに輝き続ける光の結界だった。
 ジャークキングもかわらずプリキュアたちの前にいた。ゴーヤーンよりも一回り大きいその体は色濃さを取り戻している。
 しかしその輪郭はぼやけ、ドライアイスのように煙を上げている。巨体を収縮させるその姿は苦しそうでもある。けれども変わらぬ鋭い視線を見せる赤い瞳が、プリキュアたちに向けられた。

「見事だ、プリキュア。お前たちの勝利だ。光の結界はもうすぐこのジャークキングの体を消し去るだろう」

 ジャークキングの口から出た思わぬ言葉にも、プリキュアたちの瞳は険しいままだった。対峙する11人の瞳はまっすぐにそそがれ、そこにジャークキングを縛り付けるかのようだった。

「だが、ただでは消えん。プリキュア、貴様らだけは絶対に許さん……! 我が最後の力をもって、貴様らだけは消しさってやる! この命、燃やし尽くす最後の力で!!」

 黒い闇のなかで、赤い光が揺らめく。それはさながら溶岩流を内包する人型の火山のようでもあった。
 天を覆うばかりの巨体はもう持ってはないが、そのプレッシャーは変わらない。闇の力は半減している。しかし不足分を補ってあまりあるその重圧は、文字通りの命……ジャークキングが、自らの命をエネルギーへと変えることで得ている最後の力だった。


 「そう。それはいいことを聞いたわ」

 闇の圧力にも動じず、かれんが言う。

「いいこと、だと」

 闇の王が聞き返す。かれんは険しい瞳を向けたまま、言い返す。

「そうよ。つまり私たちはもう、世界を守るために戦う必要はないということよ」

「戦いを放棄するというのか」

「そんなことかれんは言ってないわ!」

 怒りを隠しもせずに叫ぶこまち。かれんの言葉の意味は分かっている。そしてそれは他のプリキュアたちも同じだった。

「そうだよ、これから私たちは世界のためじゃあない……」精霊の力をしずかに身に纏う咲が、なぎさとほのかを一瞬振り返り、そしてジャークキングに告げる、「あのふたりのために戦うのよ!」

「あのふたり……? キュアブラックと、キュアホワイトのためだと?」

「許さないのは私たちのほうよ。あのふたりはあなたのせいで、一番大切なものを失ってしまった」

 再びエクスカリバーを手にした満が、薫と共にその切っ先をジャークキングに向ける。

「敵を取ったって、ふたりの記憶は戻らないけれど。でもせめて、私たちが、あのふたりの敵だったあなたを倒す。それが、私たちを導いてくれた、彼女たちの絆への、せめてもの手向けよ!」

 薫がたぎる想いをぶつけると、それに応えるかのようにエクスカリバーが輝く。ジャークキングは、「よかろう」、ゆらりと前に出ると、

「共に大儀なく、復讐のために戦うというのか。ならば来るがいい、貴様らの持てる全てをぶつけてこい!」

 衝撃波が走る。黒い円盤となって、ジャークキングから全周囲に広がっていく。

「全て打ち砕いてやる!!」

 衝撃波がプリキュアたちを直撃する。爆発。その衝撃を突っ切り、プリキュアたちがジャークキングに次々と飛び込む。

「砕け散るのはあんたのほうよ!」

 ブルーム―咲を先頭にプリキュアたちの攻撃が次々と光を放つ。
 剥き出しの「私」と「私」がぶつかる戦いが、シンデレラ城の白亜の色を染め上げた。


 「のぞみさんとりんさんは、ここでブラックたちを守っていてください」

 戦列に加わろうとしたふたりを押し止め、うららは立ち上がる。

「もうふたりは、戦うのは無理です。代わりに私たちが、頑張りますから……」

 それだけ言うと、うららは閃光渦巻く嵐の中へと飛び込んだ。無理にでも戦いに加わりたかったりんだが、のぞみの状態を鑑みてともに留まることを選んだ。
 やるべきことはそれでもあった。パートナーズ像前で怯えているなぎさとほのか、そしてふたりの前で嗚咽を漏らしているひかり……戦線を前にして無防備なこの3人を守る必要があった。

「ルミナス……気持ちはわかるけれど、ふたりを安全なところへ。ここは危ない……」

 りんがひかりの肩に手をかけると、それは振り払われた。

「分かるはずないです……」

 振り返ってりんを見たひかりの目は、彼女の名とは裏腹に輝きをなくしきっていた。

「私にとって、なぎささんとほのかさんは全てだった……」

 言うと再び涙がこみ上げてくるひかり。その言葉は大げさな物言いではなかった。
 生まれ落ちてまだ間もないひかり。最初からずっと一緒にいてくれたなぎさとほのかは、そんなひかりにとって自分を守ってくれる光の戦士でありながら、友であり、先輩であり、親でもあった。築かれてきた時間の全てが、なぎさ、ほのかと共にあると言っても過言ではないくらいに近く、ひかりの全てを見ていてくれた存在だったのだ。
 学生生活の中でできた親友の美羽と、奈緒。ひかりを我が子のように面倒を見てくれるあかね。そんな近しい人たちにも、ひかりの本当の姿は教えることはできない。真実の自分を知ってくれているのは、ひかりが生きるこの虹の園ではふたりだけだった。けれど、もうふたりはひかりのことを覚えていない。公では隠さなければならない自分をさらけ出せる相手は、もういなくなってしまったのだ。

「ねえ、ふたりはいなくなってしまった訳じゃないんだよ」

 ひかりの絶望をしっかりと見つめながらも、りんは気を強く持ち、語りかけた。

「消えてしまったなら、あなたはそのふたりと離れてしまうの。もう一度始めようとは思わないの」

「もう一度……?」

「そうだよ。もう一度、そのふたりとの関係を築くんでしょ? これっきりってことはないよね」

「これっきりなんて……そんなの、絶対いやです!」

「だよね。だから、守ろうよ。ここは危ないから、ふたりを避難させなきゃ」

 りんの説得にもひかりは立ち上がる気力を持てなかったが、怯えてひきつっているなぎさとほのかの表情を見るに見かねて、目を閉じ、立ち上がった。

「ふたりとも、こっちへ……。安全なところへ案内します」

 そう言って、なぎさとほのかの手をとり、立ち上がらせようとした。

「あ」

 右手に、なぎさの手。左手にほのかの手。しかしほのかの手は弱々しく震え、中腰になった時にひかりの手から滑り落ちてしまった。

「あぶない」

 その手を、なぎさがとっさに掴む。ほのかはなんとか体制を整え直す。

「あ、ありが……と……」

 手を握り締め合うなぎさとほのか。その視線が絡んだ瞬間、ふたりは動けなくなっていた。


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